なぜアメリカ名門大の男性たちは、キツくて不安定なスタートアップをめざすのか
こんにちは。藤田結子です。4月に第1回の記事を配信してからあっという間に1カ月が過ぎました。第2回は、以前Xで紹介した際に116万回表示というプチバズをいただいた、シリコンバレーのテック・スタートアップに就職する若者の「熱狂」と搾取の裏側を深掘りします。

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Patrick Sheehan <br />
"To the Moon: Hype and Start-Up Work" <a href='https://podcasts.apple.com/jp/podcast/contexts-to-the-moon-hype-and-start-up-work/id871126157?i=1000677127740' target='_blank' rel='nofollow noindex noreferrer'>podcasts.apple.com/jp/podcast/sag…</a>
アメリカで盛んなテック業界研究
アメリカの社会学やコミュニケーション学では、2010年代からシリコンバレーやスタートアップを主題とした研究が増えています。これはテクノロジーそのものの研究ではありません。テック業界に関する働き方や差別、意識などがテーマで、なかなか傑作が揃っています。今回紹介するのは『To the Moon: Hype and Start-Up Work』という新しめの論考で、今後本として出版されるようです( “To the Moon”とは、もともと投資業界の俗語で、価値が爆発的に急上昇すること)。なぜアメリカのエリート大学(イエールやプリンストン)を卒業した若者たちが次々と、不安定なシリコンバレーのスタートアップをめざすのか、という謎に迫った研究です。
著者パトリック・シーハンは大学院生のとき調査のために、実際に「ブレインシェア」というスタートアップの採用試験を受け、フルタイムの正社員(初級職)として入社しました。当時30歳だった彼は、20代の若手社員たちに混じって週70-80時間という長時間労働を共にしました。メキシコでの社員合宿にも参加し、深夜までテキーラを飲み交わすような親密な関係を築き、エリート男性たちが何を夢見ているのかを内側から参与観察しました。とても手のかかる調査法ですが、アメリカ社会学では伝統的なエスノグラフィーの手法です。
「即レス」は絶対命令!
それにしても週80時間の労働とは、日本のコンサルや代理店みたいですね。著者パトリックが働くブレインシェアでは、「即レスは絶対命令」。あるときパトリックが、週70時間の連続勤務で「もう無理!」と新しい任務を断ろうとした時のことです。26歳のマネージャーは許してくれません。若手社員たちの生活は毎日が生きるか死ぬかのよう。息も絶え絶えになった彼らに注入されるのは、気合という名の酸素、すなわち「ハイプ(Hype:熱狂)」なのです。
ハイプという熱狂装置
スタートアップにおけるハイプとは、実態がまだ伴っていない技術やサービスに対して、過剰な期待や興奮を煽ることで生まれる「熱狂」のこと。本来ハイプは投資家から資金を集めるための手法ですが、職場では従業員を限界まで働かせるための「燃料」として機能します。
■「10倍成長(10X)」という聖戦
CEOが行うチームミーティングは、さながら宗教的儀式です。
「俺たちは世界中の知識を民主化する!」
「今年は10倍(10X)成長する。データをみれば一目瞭然!」
そんな根拠の薄い、しかしビッグな目標を掲げることで、単調なデータ入力を「世界を変える聖戦」にすり替えます。
■「月まで行く(To the moon)」という陶酔
今の苦労が報われる「歓喜の瞬間」がすぐそこにあると信じ込ませます。メキシコでの合宿中、CEOは「今はTシャツ姿の僕らも、年末には成功してスーツを着ているはずだ。何着る?」と笑顔。「もうすぐ人生が変わる」と煽り、週70時間勤務の疲れを一時的に忘れさせます。
■成長曲線という呪文
疲弊した社員が弱音を吐くと、マネージャーは右肩上がりの成長グラフを見せます。「今のこの苦しい時期が、スタートアップが本物に変わる歴史的な転換点なんだよ」「あと数週間、あと数ヶ月頑張れば、ロケットは打ち上がる!」と言い聞かせ、限界を超えた献身を「今だけ」という言葉で引き出し続けます。
情熱を持てる仕事か、アイデンティティの死か
なぜ、明晰な頭脳を持つエリートたちが嘘くさい言葉に身を投じるのか。それは、彼らが「アイデンティティの死」を極端に恐れているからです。例えば、登場するエリック(仮名)は中国系2世で、7歳から塾通い、マンハッタンの超難関校を経てプリンストン大学卒。投資銀行に就職するも「ここで歯車になる」と感じてスタートアップへ移った若者です。スタートアップが提供する「世界を変える大義名分」は、彼らの「好きなことを仕事にしたい」という現代的な欲望を完璧に満たしてしまいます。
また、ここには「排除」の論理も働いています。この熱狂は、家庭を持つ年配者や、このノリに馴染めない女性たちを「コミットメント不足」として振り落とすことで維持されています。残ったのは、似たような野心と不安を抱えた「同質の野郎ども(The Boys)」だけ。だからこそ、疑いを持つ隙がないのです。
「達成中毒者」が嫌う古い企業
また、彼らは幼少期から激しい競争を勝ち抜いてきた「達成中毒者」です。ネオリベの流れの中、労働市場が二極化し、彼らは勝者のサークルから一歩でも外れることを極端に恐れています。堅実なキャリアよりも、一気に「月まで」行ける可能性のあるロケット(スタートアップ)に乗らなければ、自分は時代から取り残されるという強迫観念が、冷静な判断力を奪うんだそうです。
また、スタートアップは、仕事・遊び・人間関係をすべて一つのパッケージにして提供します。サークル合宿のような合宿、深夜のテキーラ、共通の敵(古い企業。日本でいえば「JTC」でしょうか)への攻撃。このノリは大学のサークルの延長であり、「ここにいれば仲間がいる」という帰属意識をもらたします。
* JTC=Japanese Traditional Company日本の伝統的な大企業をあらわす俗語
「金、やりがい、仲間を手に入れる」という物語
これはコスパの感覚にもつながっています。エリートであればあるほど、自分が間違った選択をしたと認めるのは難しい。週70時間も働き、私生活を犠牲にしている以上、「これはすごい」と思い込まなければ、自分の努力がすべて無駄だったことになってしまいます。要するに、「自らの野心と不安を煽られ人生を自らつっこんでる」状態だといえます。スタートアップが提示する「金、やりがい、仲間のすべてを手に入れる」という物語は、不安定な現代を生きるエリート若年層にとって、「信じるしかない唯一の希望」に見えてしまうのです。そして、限界まで働いて燃え尽きてしまったら、ロケットが月へ着く前に、冷酷に機外へ放り出されるのです。
パトリック・シーハンが描くシリコンバレーのテック業界の様子を通して、アメリカのエリート男性たちのせつない事情が垣間見えます。私が普段話を聞いている、外資コンサルなどをめざす日本の若い男性たちにもマインドは結構似ているなと思いました。ただ日本はアメリカと比べると、To the Moonを実現できるようなスタートアップが少なく、やり直しのしにくい日本型雇用の影響もあります。さらに、人より目立つなという同調圧力も強いです。優秀な学生の多くは、スタートアップよりも、外資コンサルやITなどの大企業に就職し、アメリカと比べれば安定した人生を望んでいるようにも見えます。それはもしかすると、日本でイノベーションが活発にならないことと関係しているのかもしれません。
Photo by Austin Distel on Unsplash
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